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台風と波
日本の周辺海域で高波を発生させる気象現象には、台風、冬季の季節風、急速に発達する温帯低気圧、地震津波などがある。高波はしばしば船舶、海洋構造物、家屋などに被害を及ぼしている。
台風は、天気図上ではほぼ円形の対称的な形をしているが、台風の暴風域内で発生する巨大な波浪は、決して一様な分布をしてはいない。一般によく知られているように、台風の進行方向に対して右側は危険半円と呼ばれており、可航半円と呼ばれる左半円に比べて波が異常に高くなる。
特に右後方象限では、風浪とうねりが干渉して複雑な海面状態となることが、昔から船乗りの経験などによって言い伝えられているが、体系的な観測結果によって実例が示されたことは殆どない。
「台風の右半円においては、台風のまわりを旋回する風と、台風全体を押し流すいわゆる一般流の風の向きが同じだから、両者の風速が加速されて風が強くなる。これに対して左半円では、両者の向きが逆になるため、互いに打ち消し合って風が弱くなる。」と大抵の気象の本には解説してある。
少なくとも北半球の中緯度地方では、統計的には右半円が左半円より荒れることは事実である。台風の構造からみて、右半円に入ると、風と波に流されて必然的に台風の中心の方へと押し流されることになる。左半円に避航すると、追い風、追い波で台風の外域に出られるという有利な条件がある。
しかしこの原則も北半球のことであって、南半球では逆である。また低緯度地方ではこの原則が通用しないこともある。船員の間には可航半円を安全半円と思い込んで、無理やり左半円に逃げようとして遭難した例もある。
また3月頃にフィリッピンの東海上で、台風に巻き込まれて遭難しそうになった漁船員の話に、定石どおり左半円に逃げたら、えらいシケにあったという報告もある。この台風は動きが非常に遅い台風であった。
アメリカの観測によっても、台風域内の風速が右半円より左半円の方が強い場合があると報告されている。これらの事例はいずれも低緯度地方の、発達中の台風である。このような台風は風も中心に近いほど強く、波も高い。いずれにしても台風だけは早めに避難する以外に方法がないと考えた方がよい。
昭和10年9月26日、旧日本海軍の第4艦隊が三陸沖で台風を縦断した時の観測記録は貴重である。これは目視観測ではあるが、台風域内の波浪の特性をよく示している。
1935(昭和10)年9月、西太平洋で大演習をしていた日本艦隊(第4艦隊)は、三陸はるか東方海上40N,147E付近で風速最大30/s以上、波高最大15mという中心示度957mbの猛台風に突入、大損害を被った。
人員の被害は殉職者54名、負傷者56名という平時としては極めて大きなものであった。艦艇では特型駆逐艦、重巡洋艦、空母をふくむ10数隻が大損害を被った。なかでも新鋭特型駆逐艦の「初雪」、「夕霧」に艦首部切断流失という致命的な大損害を受けたのが注目される。これは「第4艦隊事件」と言われている。
第4艦隊とは、当時の連合艦隊の一部であったが、常備のものではなく、この海軍大演習のために臨時に編成されたものであった。当時の新鋭空母二隻を中核とし、これに多数の巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、補給船などを配した後の機動部隊の雛形であった。
第4艦隊が突入した台風は9月21日、グアム島北洋上に発生したもので、おおむね143E線に沿って北上を続けていた。第4艦隊の方はこの台風のことは十分承知していたが、当時北海道千島方面に展開していた戦艦戦隊と艦隊決戦演習を行うべく9月24日夜から25日早朝にかけて函館を出航した。
艦隊は26日午後、この猛台風の中に整然とした編隊形のまま突入、大被害を被るに至った。台風に向かって意識的に突入したことは、今日の視点からすれば問題もあろうけれど、「猛台風下の演習も大いに意義がある」とする統監部の意向であったといわれる。
被害は別として旧海軍では水路部、海軍技術研究所が中心となって気象学、海洋学の面からこの事件の徹底的な解析を行った。その結果、それまでよく知られていた台風や大型低気圧の進行向かって右側(北半球)のいわゆる「危険半円」もさることながら、この台風の第4象限(台風の右後半域)に三角波をふくむ巨浪域が存在していたことがわかった。
このことは最高度の秘密「軍機」に指定された。第4艦隊事件の教訓を取り入れて改装補強された日本海軍の諸艦艇は、太平洋戦争中、気象、海象に原因する損失が1艦もなかったのが注目される。
台風域内においては、風の状況が空間的にも時間的にも激しく変動し、互いに交叉する風浪やうねりが複雑に干渉し合うので、その波浪場の消長に関して正確に解明することは、現在でも極めて困難である。
しかし、数値波浪予報モデルの進歩によって、熱帯低気圧域内の波浪の推算制度は向上しているので、船舶航行の安全性、経済性などに有用な効果をもたらすことが期待される。
第4艦隊事件について(当時の海軍省発表より抜粋)
昭和10年9月27日海軍省発表
「昨26日午後本州東方海面を通過せる異常な台風に遭遇したる第4艦隊は、最大風速35米秒の荒天を冒して演習に従事中、激浪により駆逐艦初雪、夕霧は船体に相当大なる損害を被り、睦月及び菊月に若干の被害あり、(中略)今次かかる事故を生じ、乗組将士に多数の犠牲者を出したるは痛惜の至りに堪えず。行方不明者に対しては目下極力捜索中にして現場付近の天候は昨夜来漸次回復しつつあり、大演習は尚之等の艦船を除き続行中なり」
昭和10年10月1日海軍省発表
「今次大演習中台風遭難により行方不明となれる第4艦隊所属艦船乗員54名の安否に関しては、その後現場を中心とする広範囲の海面を多数の飛行機及び艦船を以って極力捜索せしも遂に発見するに至らず、当時の天候、海上の模様、地域の関係及び捜索の結果等に徴し、遺憾乍ら全部殉職せるものと認むるの外なく、本日之等行方不明者全部を死亡せるものと認定せられた。(後略)」
昭和10年度の大演習は第1、第2艦隊より成る常備連合艦隊(青軍)と、臨時に編成された第4艦隊(赤軍)との間で同年7月来行われ、9月下旬両艦隊の対抗(第3期)を以って終結する筈であった。この演習に参加の艦船は大改装を終わったばかりの戦艦山城、榛名、復元性能の改善工事を終わった新鋭艦最上型、初春型を含み、大いにその成果が期待されていた。
9月下旬、赤軍艦隊は津軽海峡を超えて東航し、本州東方海面に進出、艦隊対抗決戦が行われることになったが、偶々異常な荒天に遭い、駆逐艦初雪と夕霧は大波浪を受けて艦橋直前で船体が切断し、艦首部を喪失するという事故を生じた。
同時刻睦月は波浪を受けて艦橋が圧壊し、また空母竜醸は艦橋前面に破損を生じ、更に鳳翔は飛行甲板を波浪に突っ込んで同甲板前端を圧壊して羅針艦橋よりの操艦を不能となし、また他の各艦はいずれも波浪のため大小の被害を生じ、遂に行動を中止するのやむなきに至った。
艦隊は大損害艦を除いて三陸沖で対抗演習を行った上東京湾品川沖に勢揃いし、10月7日統監艦比叡艦上で伏見軍令部総長官ご臨席のもとに、講評が行われて大演習を終わった。
荒天の状況
第4艦隊の遭遇した荒天中、重巡那智航海長の観測した浪は長さ100-150米、高さ10-15米で波長と波高の比は約10であった。また戦艦戦隊の遭遇したものもこの割合と同じであったが、水雷戦隊所在の海面では波長200米、波高15米で、波長と波高の比は13.3になる。
しかし之は特型駆逐艦がその艦首に大浪を被った時の三角波ではなくて、当時の大浪を計測した結果である。以上の実状と他の調査とにより、次の如く結論された。
日本近海に生ずる波の長さは70米秒の風速で波長500米、波高23-26米、50米秒の風速で波長280米、波高15-18米(この程度のものは日本近海では年2回位発生)、40米秒の風速では波長180米、波高11-14米位(年10回位発生)になる。
以上によると波長と波高の比は10-30位になり、然も台風の場合では10位が多いことがわかる。この調査に当たっては海軍水路部の観測記録や諸外国の波浪に関する文献はすべて調査された。元来波浪の観測は極めて困難なものであって、信をおくに足る報告の数は誠に少なく、仮にあっても万象中の一象を以て他を推測することは出来ぬ。(後略)
この事件はわが艦艇の構造の不備に基づくことは明らかであるが、同時に日本近海では従来観測されていた以上の大波が起こることも判り、従って事件の原因、対策は勿論、遭遇時の天象それ自体についても厳秘に附されたのである。
引用文献:「気象海象要覧」 日本気象協会
「日本の軍艦」福井静夫 出版協同社 |